ロールシャッハの白と黒

映画「ウォッチメン」、みなさまご覧になられたでしょうか。おれも公開直後に劇場に足を運びまして、ドベタでド下手なサントラの使い方にこそ終始イライラさせられたものの、かなり楽しむことができました。
ものすごーくクセのある作品なので、残念ながらここ日本でもそれほどヒットすることなく、もうすぐ劇場公開も終わってしまうようですが、今回は一応原作を読んだ自分なりの感想、というかもう一歩作品に踏み込むための補足っぽいことをしてみようかと。映画では語られない部分のお話なので、ネタバレはほぼゼロっす。

で、何を補足するのかっつーと、ロールシャッハ。被験者が左右対称なインクの染を何に見立てるかによって、その精神状態を分析する……という、心理学で有名なロールシャッハ・テスト(投影法)が元ネタになっていることはよく知られていますが、映画では一切ふれられなかったもうひとつの由来に、実は「ウォッチメン」という作品の深みが凝縮されていたりします。
■Rorschach Test

ロールシャッハことコヴァックは、ロールシャッハになる以前に洋裁店でバイトをしてました。ある日、とあるイタリア系の女性からドレスを仕立てるよう店に注文が入ります。そのドレスには歩く核兵器ことDr.マンハッタンが開発した素材が用いられ、白い生地の上を黒い模様が動き回る特別制。が、結局出来栄えに満足しなかった彼女は受け取りを拒否。そして危うく捨てられるところだったドレスにコヴァックは心を引かれ、持ち帰ってしまいます。

数日後、あるニュースが新聞をにぎわせます。キティ・ジェノヴェーゼ事件。これは実際にあった、ものすごく有名な事件でして、社会心理学みたいなものをかじったことのある方ならご存知のはず。概要はwikipedia「傍観者効果」から引用。

キティ・ジェヴェーゼ事件は、1964年にニューヨークで起こった婦女殺人事件である。(中略)深夜に自宅アパート前でキティ・ジェノヴェーゼが暴漢に襲われた際、彼女の叫び声で付近の住民38人が事件に気づき目撃していたにも関わらず、誰一人警察に通報せず助けにも入らなかったというものである。 結局、彼女は死亡してしまい、当時のマスコミは都会人の冷淡さを強調してこの事件を大々的に報道した。

お察しの通り、洋裁店でドレスをオーダーした女性こそ、このキティ・ジェノヴェーゼだったわけです。この事件に大きなショックを受けたことをきっかけに、コヴァックは彼女のものになるはずだったドレスからマスクをつくり、ロールシャッハとして正義なき世界で正義をなすべく立ち上がります。
で、ここからは完全に自分個人の主観なのですが、このマスクってのがロールシャッハというキャラクターを、ものすごく上手に象徴しているんですよ。シンメトリーな白と黒の模様は、決してグレーに交わることはなく、これは“Never compromise(絶対に妥協はしない).”という決め台詞に代表される、中途半端をゆるさない彼の徹底的な姿勢に通じるものがあります。が、表向きには異常なまでに〈正義〉に執着する一方、白と黒は常にうごめいて一向に定まらりません。つまり白と黒≒善悪というものが一体何なのか、彼は常に悩み続けているのです。

こんなかんじの確固たる姿勢と曖昧な善悪のアンビバレンスな共存、ってのがロールシャッハというキャラクターの示すところなんじゃないかと思うのですが、この矛盾した心情っていうのはまさにキティ・ジェノヴェーゼ事件を目の当たりにしていた38人の中にも存在していたものでして、ひいては人間なら誰にでも備わっている。暴力はよくない!ってのは誰でもわかっているはずなんだけど、いざって時に動けるやつなんてのはごく少数で、どうせ他の誰かがなんとかするだろ、ってなかんじでモヤモヤしたまま目の前のちょっとした悪をスルーしてしまう。それが極端な形であらわれてしまったのがキティ・ジェノヴェーゼ事件であり、もっとワールド・ワイドにすれば戦争なり環境問題なり。

さらにもうひとつのサブテクストであるロールシャッハ・テストの意味するところを重ねると、けっきょくてめえがどれだけ善悪について悩もうと、そんなもん投影する人次第でどんな解釈だってありえるんだから、というものすごい迷路に足をつっこむことになり、こんな具合で「ウォッチメン」にはいわゆる記号みたいなものが他にも山ほど複雑に隠されていて、それをほぼ完全に再現したザック・スナイダーはやっぱり GJ。「今の時代を反映できていない」という批判もわからないことはないのですが、ほとんど原作をなぞりながらもラスト・シーンで〈敵〉をアレからカレに変えただけで、80年代の恐怖を00年代のそれへとシフトさせたのは神業としか言いようがなく。あと「ダークナイト」と比較してどうこう、みたいなのもなあ、原作の性質がそれぞれ全然違うから超不毛ですよ。なんつーのかな、スタイルと文章量的に「デスノート」と「Steel Ball Run」ぐらいの違いがあります。とにかく映画は劇場で観るのがいちばんです。未見の方はお急ぎで!
続きはラストのネタバレ。
こうして〈ロールシャッハ〉に託された文脈をふまえると、オジマンディアスとDr.マンハッタンのゆがんだ世界統一を目前にし、自らマスクを脱ぎ捨て「殺せ!」と叫ぶ彼の最期も、より味わい深いものになるはず。ちなみに原作では、マスクを外した彼の頬は涙でぐしょぐしょに濡れ、さらに死の瞬間をナイトオウルに見られることもなくひっそり消されるので、ものすごくむなしいっす。あとロールシャッハつながりで思い出しただけで「ウォッチメン」とは全然関係ないんですけど、コロンボの第一話のオープニングが大好きです。あれがYouTubeに上がってないのがおかしい。